私が経験したこと。音が繋ぐ、石炭と私(1) 

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生まれて初めてブログへの投稿です。
書く内容は自由とのことだったので、年末を向かえることもあり、今年のおさらいなど、思ったことを綴ります。

2014年は、7年間悪性リンパ腫と闘い、77歳で亡くなった父の7回忌。
今年77歳になった母の住む札幌で初めて国際芸術祭が開催。
亡くなった父のことを話すのは 遺品整理中、父の書斎から、三井美唄鉱業学校の卒業証書を見つけたから。
ここは三井美唄鉱業所付属の夜間学校で、この紙の記録が、私と炭鉱の関係を唯一確認できるものなのです。
終戦後、樺太から引揚げ、16歳から19歳までの多感な時期を美唄で過ごしているのですが、私自身興味が無かったこともある為か、この時期の話は聞いた覚えがありません。
親戚が住んでいたわけでもないので、訪れるたこともなく、千歳で生まれ、帯広 旭川、釧路で育った私にとっても、空知地方はほとんど縁の無い土地でありました。

こんな私ですが、「日本の近代化のエネルギー政策の一旦を担ってきた炭鉱跡、例えば夕張に残る施設を補修し、アート作品として残せたら素晴らしい。是非アンゼルム・キーファーに打診したい」という札幌芸術祭記者会見内容が気になりました。
一体、この’夕張に残る施設’とは何? どこ? どういったものなのか? 見てみたい!という単純な思い、亡くなった父が戦後過ごした炭鉱町がどういう場所だったのか知りたくなり、キーファーと父を繋げようという無謀な思いが、炭鉱遺産施設を活用したアート・プロジェクトに携わることになったのです。
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幾春別

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北海道黒ダイヤ 夕張新炭鉱 昭和50年5月
清水沢在住、夕張新炭鉱元職員千葉朝光さんより寄贈(Raum2に展示しています)

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清水沢 夕張新炭鉱石炭

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清水沢
千葉朝光さんによると2頭が一緒に現れたことはないらしい過疎地に繁殖する鹿

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壁の隙間に蝶が

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廃校跡、旧三笠市立美園小学校 7月13日
岩見沢出身のビオラ奏者よる独奏
『雪解けの炭鉱町の昼の風景』川俣正 三笠プロジェクト

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札幌国際芸術祭2014 上遠野敏<20世紀の肖像(炭鉱の記憶)>

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レディ・メイド

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坂巻正美の「奔別礦渡友子交際所馬頭観世音奉」で知ることになる‘友子制度’
幌内炭鉱では明治36年に存在していたことが確認できる(招魂碑碑文/幌内地区)

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眺めのいい丘

夕張番外編

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昭和時代の映画ポスター看板 2014年8月 夕張で

先月83歳で亡くなった映画俳優、高倉健さん。昭和6年生まれ
父と同じ年に生まれ、同じ病気で亡くなられました。
健さんの父は旧海軍の軍人で、筑豊の宝珠山炭鉱の労務担当だったらしい。
(NPO理事長の吉岡さんのお父様と同じ?)

続く

吉田敬子(アートマネジメントメンバー)